答えが見えなかった子育ての時間
私には、今でも忘れることができない時間があります
子どもを産んだあと、毎日がわからないことばかりでした
今振り返れば、感覚の過敏さがあったのだと思います
しかし当時は、なぜ泣くのか、なぜ床に下ろせないのか、なぜずっと抱っこしていなければならないのか、何もわかりませんでした
24時間、誰かが抱っこしていなければならない
少しでも床に下ろすことができない
寝るためにも、誰かに抱っこしてもらう必要がある
自分の母に来てもらったり、友人に来てもらったり、車に乗せたり、できることは何でもしました
それでも、なぜこのようなことが起きているのかはわかりませんでした
他の家庭も同じなのか
自分だけがうまくできていないのか
この子に何が起きているのか
答えが見えないまま、外に出ることも難しく、違和感だけを抱えながら過ごしていました
この子は何かに困っている
病院に行っても、2歳以降でなければわからない、3歳以降でなければ判断できないと言われることが多くありました
当時は、今ほど発達障害という言葉が一般的ではありませんでした
周囲からは、母親の育て方の問題のように見られてしまうこともありました
でも、私はずっと思っていました
これは育て方の問題ではない
この子は懸命に生きている
この子は何かに困っている
その事実を見てほしい
そう思いながらも、家族だけで抱え続ける日々がありました
本当は、支援者が欲しかったのだと思います
自分ひとりではなく、一緒に考えてくれる専門家が欲しかったのだと思います
診断は終わりではなく始まりだった
その後、子どもが3歳になり、発達障害の診断がつきました
診断がついたときは、もちろん複雑な気持ちがありました
それでも、自分が感じていた違和感は間違いではなかったのだという思いもありました
ただ、診断がついたことは終わりではありませんでした
むしろ、そこからが始まりでした
保育園、療育、専門家への自費相談、自費の施設など、できることを探し続けました
良い変化を感じることもありました
少しずつ成長していると感じる場面もありました
それでも、生活の大変さがなくなるわけではありませんでした
訪問看護との出会い
子どもは成長していきました
生まれてから、本当にたくさんの成長がありました
しかし学校に行くことは難しく、3年生まで一緒に家にいることが当たり前になっていました
そんなとき、突然1本の電話が鳴りました
今でも、あの電話が運命の分かれ道だったと思っています
電話をくれたのは、以前利用していた児童発達支援の施設の方でした
お子さんに訪問看護ができますよ
そう教えていただきました
そのとき、訪問看護が何なのか、正直よくわかっていませんでした
ただ、自宅に誰かが来てくれるということだけは理解できました
それだけで、ぜひお願いしたいと思いました
当時の息子は、会話はできました
大きな癇癪が常にあるわけでもありませんでした
けれど、今思えば、生活の水準はとても低い状態だったのだと思います
何をするにも、ひとりでできる状態ではありませんでした
心に残っている言葉
訪問看護が始まったとき、今でも心に残っている言葉があります
ママの思いではなく、子どもの思いに合わせてやっていきます
ママがしたいではなく、子どものしたいを作っていくことが大切です
その言葉を聞いたとき、はっとしました
私は子どものために一生懸命やっていたつもりでした
けれど、もしかしたら過干渉になっていた部分もあったのかもしれません
やらないを頑張るという関わり方をしていたこともあったのだと思います
遊びの中にあった成長
訪問看護の中で、子どもが何をしているのか、最初は正直よくわかりませんでした
私から見ると、遊んでいるようにも見えました
今まで受けてきた療育とは違う形に見えました
けれど、確かにあった事実があります
子どもが笑っていたこと
子どもが楽しそうにしていたこと
子どもが自分から何かをしようとしていたこと
その時間が、この子にとって大きな成長と自信につながったのだと、今でも思っています
家族の生活が変わっていく
日々成長していく息子の姿を見ることは、とても嬉しいことでした
同時に、成長しすぎて少し寂しさを感じたことも覚えています
ひとりでトイレに行けるようになりました
ひとりでお風呂に入れるようになりました
誰かと一緒にご飯を食べられるようになりました
自分のやりたいことを伝えられるようになりました
誰かのために何かをすることができるようになりました
買い物に行くこともできるようになりました
外に一歩も出なかった3年間が、嘘のように変わっていきました
当たり前を取り戻したカフェの時間
支援の中では、母親から離れるという練習もありました
訪問看護が入っている時間に、私はひとりでカフェに行きました
息子がいない状態で、何の目的もなくカフェに入る
そんなことは、何年もできていませんでした
周りの人たちは、ごく当たり前のようにコーヒーを飲み、くつろいでいました
その光景を見たとき、私は思いました
これが当たり前なんだ
そして、その当たり前を、同じように困っている家族にも感じてほしいと思いました
東京療育を作る決意
子どもが支援を受けて成長すること
母親が少しだけ子どもから離れ、自分の時間を持てること
家族が日常の中で、少しでも安心できること
そのひとつひとつが、私にとっては大きな感動でした
そして徐々に、同じように困っている方にサービスを届けたいという思いが強くなっていきました
決定的だったのは、利用していた訪問看護ステーションから終了の知らせを受けたことです
息子が小学校から中学校に上がるタイミングで、訪問看護を終了すると伝えられました
そのとき、何も考えられなくなりました
そして、ならば自分でやろうと思いました
それが、東京療育を設立する大きなきっかけです
家族支援を大切にする理由
私にとって、当たり前の生活を当たり前に送ることは、簡単なことではありませんでした
子ども本人だけが頑張ればよいものでもありません
家族が支え続けなければならない現実があります
だからこそ、東京療育では家族支援を大切にしています
子どもだけを見るのではなく、その子を支える家族の生活も見ること
保護者が抱えている不安や孤独も、支援の対象として考えること
子どもの成長と、家族の安心を一緒に支えていくこと
それが、東京療育の原点です
これが私の宝物です
もちろん、すべての願いを叶えられるわけではありません
すべての困りごとをすぐに解決できるわけでもありません
それでも、私と同じように悩み、同じように孤独を感じている家族に、少しでも安心や変化を届けたいと思っています
子どもが笑うこと
子どもが自分でできることを増やしていくこと
保護者が少しだけ自分の時間を取り戻すこと
家族が、もう一度当たり前の生活を感じられること
そのために、東京療育はあります
この支援があり、私の息子は中学から学校に通うようになりました
今では笑顔で高校の話をしてくれます
それは、私にとって何よりも大切な宝物です
東京療育は、子どもと家族の毎日に入り、生活の中にある困りごとに向き合う支援を大切にしています
同じように困っているご家庭が、あのとき私が感じた安心と感動を少しでも感じられるように
その思いを持って、東京療育はこれからも子どもと家族を支えていきます